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多摩で暮らす人 case04

将来を考えた移住 東京都に残る唯一の村で見つけたシンプルな暮らし
清田直博さん(檜原村)

写真:清田直博さん

清田直博さん

島しょ部を除く東京都内唯一の村である檜原村は、都心からわずか2時間ほどの距離にも関わらず大自然が広がり、その面積の9割が森だという。「日本の滝百選」に選ばれている払沢の滝や、高さ100mの巨岩・神戸岩などはパワースポットとして観光客からも人気が高い。都心部を離れこの地に移住した清田直博さんは、檜原村で過ごすうちに生活の価値観が変わったという。清田さんの「シンプルな暮らし」について伺った。

プロフィール

〇清田直博さん
福岡県出身。大学入学を機に上京。卒業後は東京でライター、エディター、デザインディレクターとしてクリエイティブの現場で経験を積む。ファーマーズマーケットの運営に携わるなかで農業に興味を持ち、東日本大震災後には東北の農家で復興支援活動に約5年間従事。その後多摩川を遡って檜原村に移住。村役場の非常勤職員として産業環境課観光商工係に籍を置き、エコツーリズムの企画や広報、デザイン業務を担当。今は一般社団法人として檜原村に関する活動をするほか、村の資源や技術を活用したビジネスを展開する。
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移住したのは6年半前。清田さんの奥さんも自然が好きで、檜原村での生活に満足しているという。

—移住のきっかけを教えてください。

東日本大震災です。当時は世田谷に住んでいて、震災が起こった時は都心エリアも結構な被害でしたね。1週間くらいは停電が続いたり、スーパーからものがなくなったり。そういう風景を目の当たりにした時に、「このままずっと都心で暮らし続けていて大丈夫なのだろうか」「都心での生活もありつつ、自分のバックアップ拠点を持っていないとダメなんじゃないか」と思ったんです。

—未曾有の災害が清田さんの生活への考え方を変えたんですね。

震災後は仙台市に5年くらい定期的に通って、今でいう2拠点生活みたいな暮らしをしていました。でもやっぱり距離が離れすぎていたので、体力的にも金銭的にも続けるのが難しくて。それじゃあ、2拠点を実現しやすく、東京のカルチャーも感じられる距離感で、なるべく自然も豊かなところに拠点を移そうと新たに場所探しを始めたんです。

—それが檜原村だったんですね。

一番しっくりきたのが檜原村でした。雑誌の仕事で東京の川の特集を制作していたんですが、その時取材した檜原村の秋川がとくに綺麗だったんですよ。それがすごく記憶に残っていて。そんな時に村から地域おこし協力隊の募集がありまして、応募してみたんです。僕は都心での仕事も続けたかったので面接でその旨を話したら、協力隊ではなく非常勤の職員として応募すれば、月に決まった日数だけという話を聞きまして。そこから非常勤職員として村営住宅を借りて、本格的に檜原村での生活がスタートしました。

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周囲を森に囲まれた大自然が広がる。夏場の川は子どもたちの絶好の遊び場。

—メイン拠点は檜原村だったんですか?

そうですね。住民票も檜原村にしていました。始めは都心にも週3回くらい通っていましたが、コロナもあり、都心にも行きづらくなってどんどん通う回数が減っていきましたね。それにネット環境さえあればオンラインで事足りるし、打ち合わせも行かなくてよくなっちゃいましたしね。

—非常勤職員時代はどんなことをされていたんですか?

檜原村の観光関連の情報発信や、ホームページ・SNSの管理運用などをやっていました。あと、2017年に檜原村が環境省のエコツーリズムの認定地域になったので、それに関するお手伝いも。ほかにも、私が代表を務める「檜原村新農業組合」の仲間とともに脱プラスチックを目指した麦わらストローの生産や販売にも取り組みました。はじめは年間4,000~5,000本程度でしたが、今では年間5万本ほどを生産しています。

—今は主にどんなお仕事を?

非常勤職員は昨年の8月に契約終了し、今は法人を立ち上げて檜原村の振興に引き続き協力させていただいています。また、現在進行形で村内にある寝泊りのできる新しいサテライトオフィスの管理運営にも法人として携わらせていただいています。麦わらストローの生産も仲間と一緒に続けていますよ。

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11月30日オープンの会員制サテライトオフィス「VILLAGE hinohara」。
木のぬくもりを感じる室内にはキッチンや宿泊者用のシャワーも完備。

—檜原村に関わるお仕事を続けているんですね。ちなみに麦わらストローはどうして始めようと思ったのですか?

檜原村は農地のほとんどが急傾斜地にあるため水田が作れず、昔から麦の生産が盛んに行われていたんです。でも、海外産の輸入や、少子高齢化による後継者不足の問題でほとんど作られなくなってしまいまして。そんな遊休農地を活用したかったんです。ちょうどその頃に海洋プラスチックゴミ問題が全国的に騒がれ始めて、新規性や話題性もあるしと思って麦わらストローの生産を始めたんです。英語で「straw(ストロー)」は「麦わら」って意味ですしね。

—土地の資源を利用しながら環境保全に取り組んでいるんですね。

麦わらストローは、村で暮らすたくさんの人の協力のおかげでここまで生産できるようになったんですよ。僕はもともと農業のノウハウはもっていなかったので、地元の方々に教えてもらいましたし、ストローのカット作業は村のおじいちゃんおばあちゃんたちに内職として手伝ってもらっています。

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麦わらストローを煮沸消毒している様子。ストローが完成するまでには約1年もの歳月が必要。
手探りでやり方を模索して何回も失敗した末にやっと今の方法に行きついたという。

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麦わらストロー250本(瓶入り)

—まさに村全体で作っているんですね。「檜原村新農業組合」ではほかにどんな活動を?

一緒に活動している仲間はみんな移住者なんです。メンバーそれぞれが遊休地を使ってジャガイモやハーブを育てたり、ワサビ田や茶畑の再生をしたり、組合として連帯しつつ独自の活動をしながら檜原村の自然を生かした取り組みをしています。

—清田さんたちのこうした活動が村の活性化につながっていると思います。

村を知って来てくれる人が増えることは嬉しいです。このサテライトオフィスもそういった目的で作られましたし。実際コロナ禍で他県への移動が憚れていた時には、多くの方が自然を楽しみに来てくれました。コロナ禍に入って、空き家バンクに掲載された物件も全て売れたそうですし。

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清田さんの自宅。
畑を荒らすイノシシは狩猟の免許を持つ村民に罠をかけてもらい捕獲。
獲ったイノシシは鍋にしてイノシシパーティーを開くという。

—現在、檜原村では移住に対する取り組みが積極的に行われています。清田さんが移住されるときは村からどんなサポートを受けましたか?

移住への補助は手厚かったですね。移住費の補助としてまとまった金額の補助金がもらえましたし、ほかにも古民家の取得とか空き家の改修にも補助金が出て。薪ストーブの設置にも補助金をいただきました。それに村営住宅もすごく安いです。当時は1家族が住めるくらいの一軒家で1か月3万5,000円ほどでした。

—実際に檜原村での暮らしはいかがですか?

僕が移住しようと思ったきっかけの1つが子育てで、待機児童の問題がちょうど話題になっていた時だったので近くの保育園に入れないなんて人もたくさんいました。そういう面でも田舎を探していたので、檜原村はまさにぴったりでした。待機児童はゼロですし、保育園も無料※。さらに出産の給付金も出ます。中学までは村内に学校があるんですが、高校になると外に通わなくちゃならないので、通学の補助も出るみたいです。

※檜原村子育て支援保育料等補助金
 第1子は支払った保育料の1/2、第2子以降は支払った保育料の全額を支給。

—充実した補助制度に加えて、自然のなかでのびのびと子育てができるのも檜原村の魅力ですよね。

この前、埼玉に住んでいるいとこの子どもがウチに遊びに来たんですけど、なぜかウチの子は声がでかいんですよ(笑)。都市部で育てると声を出すことにも気を遣うのかな、なんて思いましたね。本当にのびのび成長してくれています。

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清田さんの自宅から見える大自然。
声の届くところにご近所さんはなく、騒音問題などは皆無。

—東京で唯一の“村”ですが、実際不便だと感じることはありますか?

みなさんがイメージするような不便はそんなにないと思いますね。車を走らせればスーパーにも行けますし、日用品等もネットで頼んでしまえば次の日にはちゃんと届きます。田舎ですけど、あくまで東京都っていうのが檜原村の強みですね。

—檜原村に移住して清田さん自身に変化は?

消費の仕方が変わったと思います。ものを買うときは、本当に自分の生活に必要なのか吟味するようになりましたね。都心に暮らしていた時のことを振り返ると、別に持っていなくていいものって結構あったなって思っていて。洋服も買わなくなりましたね、誰に自慢するわけでもないですし(笑)。

—移住がきっかけで価値観が変わったんですね。

そうですね。必要最低限のもので充分に生活はできますし、よく考えると無駄なものっていっぱいあったんだと気が付きましたね。檜原村に来て、暮らしがシンプルになりました。四季の移り変わりにも敏感になりました。あとは、物事を長期的に考えるようになったと思います。時間軸が伸びたというか。林業の現場に顔を出すことも多いのですが、林業家は50年スパンで物事を考えます。そういう経験を通して、よりナチュラルに、より自然に沿ったものの見方や考え方をするようになりました。

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「都心に戻りたい気持ちは全くないです。生活環境は圧倒的にここの方がいいですね。」

—これから檜原村に移住される方も清田さんのような“シンプルな暮らし”に憧れると思います。

移住を考えている方は実際に一度来てもらった方がいいと思います。実際に目で見て、体験して、地域とつながるっていうことがなにより大切だと思うんです。家が見つかっても、地域とマッチングできるかっていうところが難しいですからね。移住を受け入れる側も本気で住みたいと思っている方に来ていただきたいですし。移住して今こうしてこの村で毎日を謳歌している僕だからこそ、新たに来る方が地域とつながれる機会を創る仕事を続けていきたいです。

—今後の夢や目標は?

今、多くの人が移住を考えていたり、自分のサブ拠点を探していたりしますよね。僕の仲間たちも結構あちこち行っていて。そういう新たな拠点を探している人たちをぜひここに呼んで、一緒にクリエイティブな仕事がしたいですね。村にはまだまだ生かしきれていない資源がたくさんありますし、新たな人たちの柔軟な発想と技術を用いて、一緒に今までにない村のニーズを刺激し、檜原の魅力をもっと発信していきたいです。

大自然の中でマイナスイオンを感じる!
迫力満点、檜原村の滝めぐり

高度差約60m、奥行き約50mを誇る「払沢の滝」は、東京都で唯一「日本の滝百選」に選ばれている名所だ。かつては雨乞いの滝と呼ばれ、滝つぼに大蛇が棲むと信じられていたという。このほかにも、秋川で最も上流にある「三頭大滝」や、川の合流点に位置し水量の豊富な「中山の滝」、岩盤から滑り落ちるように流れる「天狗滝」など檜原村には50を越える滝が点在している。都会では味わえない雄大な滝の迫力と、心が浄化されるようなマイナスイオンをぜひ全身で感じてほしい。

写真:払沢の滝
写真:三頭大滝
写真:中山の滝
写真:天狗滝

左上「払沢の滝」右上「三頭大滝」左下「中山の滝」右下「天狗滝」